yukino_halu’s diary

日常の雑記。

防毒マスクの功罪

注意:化学物質過敏症は、人によって「何に、どのように反応するか」が違います。したがって、この記事の内容はあくまでも雪野ハル個人の経験によるものです。

 

復帰直後の仕事量の手加減が無くなり、平日は体力気力を削られ、週末はその回復と体勢の立て直しで手一杯。GWの連休で、ようやく一息。

 

防毒マスクの働きは大きいし、これがないと職場に居られない。けど、その重さが負担。重量は吸収缶を含めると300グラムを超える。

前を向いている時にはまだ重さの負担がマシだけど、どうしても仕事中は下を向くので負荷がかかる。そして防毒マスクで視界を遮られるので手元が見えにくく、より深く俯くことも多い。そして首への負荷が増える。

元々は肩こりをあまり感じないタチだったけど、最近は肩や首のコリが日常。一度は首コリが原因でひどい頭痛を起こしたり。トイレや水分補給の際、ついでに上を向くようにしてからは、少しマシになったような気がするけど。マスクが邪魔で首を回す運動が出来ない(吸収缶が肩にぶつかる)ので、せめて上を向いて背中側の緊張を解く。

今の時期は気温もまずまずなので、昼休みは車で横になることも。首から背中にかけての緊張が少しでも軽くなるように。真夏や真冬は厳しいだろうなあ。エンジンをかけて冷暖房するのが一般的だろうけど、空気を内循環にしていても自車の排気ガスで調子悪くなるだろうし。

 

私がゴツいマスクをつけていることで、人によっては「だからアイツに対して配慮する必要はない(マスクが全てを帳消しにしてくれる)」と思う人もいる。実際にはコーヒーだと香ばしさの一部(味噌や醤油を焦がしたような)、飴やガムの香料の一部はマスクを通って体調に影響するし、ニオイを感じなくても柔軟剤などのマイクロカプセルは肌で違和感を感じる。そういう話をしたところで、結局は「訳わかんない思い込み(我儘)に付き合えない」という反応しか返ってこないけど。

ふとした瞬間にマスクがズレて、まともに汚染空気を吸い込むことがある。その時は「防毒マスクの恩恵」を実感する。マスクなしでは耐えられないのが確実。

 

防毒マスクを着けても、職場の掃除を頑張っても、結局は換気が一番重要。室内の汚染空気を、外気によってどれだけ希釈できるかが肝心。

 

 

 

症状(体調体質)の経過(9)

注意:化学物質過敏症は、人によって「何に、どのように反応するか」が違います。したがって、この記事の内容はあくまでも雪野ハル個人の経験によるものです。

 

通院。

復職後の様子や体調変化について聞かれ、「生活費が必要で職場に残りたいのは分かるけど、くれぐれも無理しないように。悪化したら元も子もない」と釘を刺された。

あとは2度ほど「外出してる?」と聞かれ、なんとなく運動不足の心配じゃなくて何かを聞き出そうとしている感じが。なので記憶を探って「気のせいかもしれないし、暖かくなってマメに換気するようになったのかもしれないけど、1ヶ月ぶりくらいにスーパーへ行ったら店内の柔軟剤臭がちょっとマシになっていた気がする」と伝えた。すると「それは気のせいじゃない。症状が改善している証拠。3ヶ月とか半年前と比べたら良くなっている、というくらいゆっくりと回復していくもの。これからも出来るだけ負荷を避けて、でも反対のことを言うようだけど、外出などで可能性を探ってみて」と言われた。

どれくらいの時間をかけてどこまで回復するかは、生活環境を含めて個人差があるから何とも言えないらしい。言われてみれば当然。そして初診時に「一行でも良いから毎日、日記をつけて。体調の変化を掴むのに役立つから」と言われたことを思い出した。当時は原因物質を突き止めるために必要なのかと思っていた。それもあるだろうけど、本命は3ヶ月や半年前の体調と比較して、改善している部分を見つけてモチベーションの維持(?)につなげることなのかも。

スーパーの柔軟剤臭が少しマシになったからといって、店内の滞在可能時間が伸びたわけじゃない。通勤を含めて職場では防毒マスクが必須。全然『普通』じゃないし、周囲の無理解に凹むことも憤ることもあるだろうけど、手探りで1ミリずつ、進んでいると信じていこう。

 

 

化学物質の避け方メモ(洗濯)…その2 ??

注意:化学物質過敏症は、人によって「何に反応するか、どのように反応するか」が違います。したがって、この記事の内容はあくまでも雪野ハル個人の経験によるものです。万人に有効な対策ではありません。

 

気休めやおまじないのような感じもしつつ、最近追加した米ぬかについて。

米ぬかには油分が少し含まれていて汚れを落とす作用もあって、食器洗いや入浴で使っている。ふと、洗濯にも使えるのではないかと。マイクロカプセルなどの化学物質は油性のものが多そうだし、糠の油分と上手くくっ付いてくれたら洗い落とせるんじゃないか、という発想。無農薬米を玄米で買っているので、精米時にぬかが手に入るし。

 

粉せっけんでの洗濯をする前に、米ぬかで予洗いする感覚。

40度のお湯を45L、洗濯機に溜める。玄米2合分を精米した際の米ぬか(10-15gくらい)をサラシやハンカチなどに包んで(お茶パックなどの不織布製の袋でも可)、お湯の中で米ぬかを揉む。布の中から米のとぎ汁のように白く濁った糠が出てこなくなるまでしっかりと。米ぬかをそのままパラパラと入れるのはNG。洗濯物やごみ取りネットが大変なことになる…。

洗濯物を白く濁ったお湯の中に沈めて10分くらい放置。あとは普通に洗濯&濯ぎ2回。

 

洗濯物を取り出し、粉石けん大さじ3・セスキ炭酸ソーダ大さじ3・過炭酸ソーダ大さじ3、40度のお湯45Lを5-10分攪拌して溶かす。柔軟剤代わりにクエン酸小さじ1。ぬかで洗った洗濯物を沈めて10分放置。その後に洗濯&濯ぎ。

 

洗濯物を取り出して、過炭酸ソーダ大さじ3を40度のお湯45Lに溶かし、柔軟剤代わりにアスコルビン酸小さじ1。再度洗濯物を入れて洗濯&濯ぎ。

 

なんとなく、仕事着のマイクロカプセル汚染が蓄積しにくくなったように感じる。汚れを顕微鏡で見るとか部屋干し中の空気を測定するとかのデータが無いから、本当に効果があるのかはわからないけれど。

 

粉石けんでの洗濯についての参考書:ナチュラルおせんたく大全 本橋ひろえ

 

 

症状(体調体質)の経過(8)

注意:化学物質過敏症は、人によって「何に反応するか、どのように反応するか」が違います。したがって、この記事の内容はあくまでも雪野ハル個人の経験によるものです。

 

生活のため、職場に復帰して3週間。

約一年ぶりだし、完治したわけじゃないので、最初の1週間は午前だけで様子見。2週目からフルタイムに移行。防毒マスクは必須。とにかくマメに換気。

業務量は今のところ手加減してもらっているので、上司の許可の上で掃除に精を出している。

初日は明らかに空気がよどんで埃ぽく、まとわりつく空気が気持ち悪かった。自分や同僚の机、書棚、コピー機、床のケーブル周辺、エアコンに換気扇に給湯室、ブラインド…とにかく手当たり次第。おかげで空気の質はマシになってきた。

高残香性柔軟剤の使用者が何人か。使用をやめてくれた人もやめる気がない人もいる。当たり前か。病気持ちの身としてはつい「香りで気分が上がる人と、香りで体調を崩す人、どちらの需要を優先するのが正当なのか」と思ってしまうけれど、世の中は多数派が強いのだから仕方ない。防毒マスクでニオイは感じないけれど、香料臭がキツい人がそばに来ると頭痛を起こすので、その度に外へ避難したり窓を開けたり。コロナ対策のアルコールも辛い。

水分補給は屋外で立ったまま、マスクをずらして。外の空気も良くないけど、屋内よりはマシなので、息を止めて急いで飲む。当然(?)、帰宅するまで絶食。

平日の睡眠8時間は確保しているけれど、どうしても疲労は蓄積してしまう。土曜日は昼過ぎまで起きられないし何も手につかず、日曜に家事をこなして平日に備える感じ。

仕事着と決めた服は汚染が蓄積し、捨てたものも数着。防毒マスクの吸収缶と合わせて、出費がかさむ。

農地が広がる田舎なので、今後、農薬が使われるようになった時の体調がどうなるか…。

 

 

 

自分ごとの政治学 中島岳志

NHK出版の「学びのきほん」シリーズ。

100ページ程度の薄い本で、文字も大きいからあっという間に読める。

4つの章立てで、政治学の基本概念、政治の「考え方」とは、「自分ごと」を過去に学ぶ、死者と日常の政治学

政治は左翼と右翼、保守とリベラル、などと対立する区分で語られることが多い。しかし著者はその区分自体が古すぎて実態に合わないと言う。リスクの個人化とリスクの社会化、パターナルとリベラルの軸を提起していて、なるほどと思った。

今の日本は社会保障を縮小する自己責任社会へ向かっている、目先のことだけではなく過去や未来を見つめて生き方(=政治)を考えよう、など何となく感じていたことを言語化してくれた内容。

ニュース等では政治家も国民も「減税が正義」と思考停止したみたいに言うけれど、税金(=国や地方の収入)がなければ社会保障も実現できない。医療費の3割負担も教育の無償化も、失業手当も職業訓練生活保護も、道路や水道の整備や災害復旧その他諸々、全て税金があってこそ。税収が少なくなって、非正規雇用で不安を抱えながら最低賃金で働く公務員が増えているけれど、そんな状況で質の高い行政サービスを提供し続けることができるだろうか。

政治は自分のためや現在のためだけにあるわけではない。先人の営みの上にあって子孫の下敷きになるもの。正の遺産も負の遺産も引き継いで、現在がある。負の遺産を少しでも減らして未来へ渡すことが、今を生きる私(たち)の役割だろう。

がん-4000年の歴史- シッダールタ・ムカジー

『病の皇帝「がん」に挑む』の改題で、原題が THE EMPEROR OF ALL MALADIES : A Biography of Cancer 。

上下巻で1冊が500ページ程度。とはいえ引用文献や索引等があるので、本文は上下巻合わせて800ページくらい。久しぶりにページ数が多いものを読んで少々疲れた。と言いつつ、ガンがなぜできるのかどう治療したらいいのか全くわからない時代から、現代の手術・化学療法・放射線治療までの流れを面白く読めた。

著者の担当する患者が出てきたり、ガンの種類や治療法によって時代が多少前後したりして、歴史や時代背景の認識が緩い私としては少々手間取ることもあった。それでも途中で投げ出す気にはならずに最後まで読めたのは、著者と訳者の力量だと思う。日常生活では使わない単語が出てくるけれど下巻の巻末に用語集のようなものもあるし、仮にそれを読まなくても全体の理解に不都合がないように書かれている。

乳ガンではかつて根治手術として、乳房やリンパ節だけでなく周辺の筋肉や骨までごっそり除去していた、ということは何かで見聞きして知っていた。抗がん剤も徐々に進化してきて、副作用が少ないものができていること等も知識としては知っていた。

ただ、知識で知っていたことと、こうして一つの物語(?)として読むのとでは重みが違う。改めて「医学の進歩は多数の患者(治験者)の元に成り立つ」ことを認識した。あとは「ガン」として様々な臓器の癌をひとまとめにして語ることの利点と欠点。

バラバラに不確かな精度で持っていた知識をまとめてくれた、いい本だった。

洗濯で取れないもの

注意:化学物質過敏症は、人によって「何に反応するか、どのように反応するか」が違います。したがって、この記事の内容はあくまでも雪野ハル個人の経験によるものです。

 

過敏症の対策で、洗濯は外せないと思っている。衣服の汚染は、自分でコントロールするのが難しいから。もちろん、ケバ立ちの少ない素材を選ぶなどの工夫はするけれども。

中でも厄介なのが、高残香性柔軟剤のマイクロカプセル。マイクロカプセル自体は印刷機のトナーなどにも使われているけれど、拡散範囲は狭い。柔軟剤は使用者が歩き回ってばら撒いていくので、どこで遭遇するか分からない。トナーに使われるものと比べると接着力が弱いのか、弾けた香料カプセルの殻が浮遊するのか…。香料臭そのものは、お湯で洗濯すれば落とすことができるけれど、マイクロカプセルが取れない限り、刺激臭は残る。

マイクロカプセルは本当に取れない。何度も何度も洗えば、そのうち取れるかもしれないけれど、マイクロカプセルがとれる前に服が傷みそう。アルカリ性でも酸性でも取れない。

洗濯後、水分と一緒にマイクロカプセル自体の成分が飛ぶのか、完全に乾くまでの間がツラい。部屋で干すから悪いんだとは思うけど、外に干したら外気で汚染される。乾燥室が欲しい。急性期は耐えられずに捨てた衣類も多かった。今は乾燥中さえ耐えれば、乾燥後には着られることも多い。

マイクロカプセルが何で出来ているか(具体的な素材名)はわからないけれど、いわゆるプラスチック類なのは間違いない。となれば、洗濯に有機溶剤を使えば落とせるかもしれない。アルコール、ベンジン、シンナー、灯油…? どれも化学物質過敏症な私には扱えない。

もしかするとドライクリーニングに出せば取れるかもしれない。だけどクリーニングに使われている溶剤が汚染されていたり、他の洗濯物や作業環境などの影響で、さらに汚染されて戻ってくる確率が高そう。

結局は「過敏な私が悪い」のであって「鈍感な人たちの世界」の中で生きていく以上は、我慢して工夫して耐えるしかないんだろう。花粉症のように、市民権を得る(?)までは変人扱いされることもやむを得ないのだろう。主治医などの『鈍感だけど理解してくれる人』を拠り所にしつつ。