yukino_halu’s diary

日常の雑記。

大人のための社会科 井手英策・宇野重規・坂井豊貴・松沢裕作

「大人のための社会科 未来を語るために」 (井手英策・宇野重規・坂井豊貴・松沢裕作)

 

「社会科」と言われると、学校で学んだ「地理・歴史・公民・倫理」を思い浮かべてしまい、昔〜現在についての観察・考察のようなものだと思い込んでいた、恥ずかしい。今後の社会(地域や国家全体)について、どのようにとらえて考えるか。他人事ではなく、自分を主体として、社会の一員としてどう生きるか。…ここまで書いて、高校の社会の先生が言っていた言葉を思い出した。「社会科は生き方を学ぶ教科だ」。全くもって、その通り。今の今まで忘れていた…赤面。

 

この本は、反知性主義・思考停止社会に対するささやかな抵抗として描かれたらしい。簡易的な目次(?)は以下の通り。

第1部 歴史のなかの「いま」  GDP・勤労・時代
第2部 〈私たち〉のゆらぎ   多数決・運動・私
第3部 社会を支えるもの    公正・信頼・ニーズ
第4部 未来を語るために    歴史認識・公・希望

 

GDP国内総生産)、兵器の購入でもGDPが上昇する。経済成長の指標として使われるけど、密輸等の闇取引も推定値で計上していたり、単純に比較はできない。例えば盗難で車を失い、仕方なく改めて車を買ったとしてもGDPは上昇する。GDP上昇と国民の幸せとは必ずしも一致しない。

勤労は実に日本的。貯蓄・年金・高等教育が自己責任。経済成長が停滞してからの賃金低下の構造が見えた。

多数決。衆議院議員選挙が近いのもあって、選挙ではどの程度の民意が反映されているのかと改めて疑問に思った。選挙権を得てから必ず投票しているけれど、毎回の私の悩みどころがそのまま書いてあった。あとは、有権者が投票する際に私利を考えるか公益をとるか。グループのボスに対して構成員が右へ倣えの状態であれば、常にボスの意見だけが通る。構成員の利益は蔑ろになる。

運動−社会運動・デモ−について。弱者や少数者が意見を表明するための手段。というところまでは認識していたけれど、成立成功するためにはそこに「正統性」が必要だというのに納得した。例えば強者と弱者で共有する正統性がある場合、弱者が「正当性を曲げるな」と訴えれば強者が考えを改める場合がある。立脚する正統性を共有していなければ、そもそも戯言として相手にされない。

私。個人。若者たちの無力感。社会の問題も自己責任になる。出生率の低下で若者の人口が減り、相対的に年長者が非常に多い中、若者の声は多数決では掬い上げられない。閉塞感。

公正…公正・公平・平等。税率を平等にするなら現在の消費税のような一律の税率。手元に残ったお金で暮らさなければならない、その負担感(苦しさ)を平等にしようとするなら累進課税制度。個々人(個々の企業)が「私を優遇しろ」と言っていては話にならない。

個人ではなく「私たち」のニーズとは何か。それを満たすための課税をどうするか。税金は取られるものではなく、私たちのニーズのための蓄え。

希望とは安易な楽観主義ではない。