症状(体調体質)の経過(1)
注意:化学物質過敏症は、人によって「何に反応するか、どのように反応するか」が違います。
したがって、この記事の内容はあくまでも雪野ハル個人の経験によるものです。万人に共通な内容ではありません。
発症は突然だった。
まあ、後からじっくりと思い出してみれば、発症前の1-2年間はほんの少し、その前よりもニオイに敏感になっていたようにも思う。けれど、ちょうどそれくらいの時期から、身の回りには「香りが好きな人たち」「香りが強い・香りが長く続く製品」が増えていたような気がするので、私がニオイに敏感になったのではなく、環境が変わっただけかもしれない。
とにかく、ある晩冬の朝。突然、空気が一変した。
職場もスーパーもコンビニも飲食店も、屋内の空気に拒絶されている感じで入れない。圧力を受けるというか、空気の粒子全てが怒りをむき出しにしているかのようで、身の置き所がなかった。
自宅も不穏な空気を醸し出していた。
本棚や約半数の洋服が敵意を表した。一緒に暮らせないので、捨てた。
ふと、シックハウス症候群という言葉が浮かび、私は化学物質過敏症になったのではないかと思った。以前に新聞やテレビで「建材や家具の接着剤、香料などで体調を崩す人がいる」と見聞きしていたのを思い出したのだ。
ネットで検索し、診察してくれそうな医師を見つけて10日後の予約をとった。車で3時間以上かかるが、近所には診断できる医師が居ないようなので仕方がない。
とりあえず、受診するまでの間もネットの情報を頼りに環境改善を試みた。仕事は行けず、休んだ。
洗濯洗剤と柔軟剤は無香料のものを使っていたが、合成洗剤だったので捨てた。代わりに粉石鹸とクエン酸を買った。
シャンプーとコンディショナー、基礎化粧品等も捨てた。
台所には据え置き型の浄水器を買った。
受診するまでの間も症状は悪化していった。
シャワーを浴びる際に塩素臭を感じるようになり、フィルター付きのシャワーヘッドに変えた。
新聞を開けない。一面の記事を斜め読みするので精一杯。
炊飯器とテフロン加工のフライパンが有害物質発生器になった。捨てた。
味方だと思っていた服や寝具が、次々に敵になっていった。処分した。
診察を受け、化学物質過敏症と診断された。グルタチオンとビタミンCを処方された。医師には「まだ急性期の入り口なので、これからもっと悪化する。しかし、原因物質を避けた暮らしを続けていれば、以前のように暮らせる」と言われた。
正直に言えば、医師の「もっと悪化する」は信じていなかった。想像できなかった。服だってそれなりに処分したし、洗剤を捨てるとか、環境改善もしていたし。
だけど本当に悪化していった。今まで自宅は比較的安全だったのに、自宅にも居場所がなくなった。だけど外の方が更に厳しかったので、居場所のない自宅の方がまだマシだった。
もはや、自分が何に反応しているのか分からなかった。身体を捨てたかった。